手術だけで終わらない、長いお付き合いをする外科
ハシモト ナオヤ
マルヤマ ダイスケ
ニシイ ショウ
カマタ カズアキ
クゼ アヤカ
西井先生
人間として一番大事な能力、運動や感情など、その人をその人足らしめている臓器が脳だと思います。脳神経の働きが最も面白いと思い、興味があったのでこの道に進みました。
鎌田先生
父親が脳神経外科医で子ども頃から医局などに連れて行ってもらっており、医師になったら脳神経外科医になりたいと漠然と考えておりました。頭だけでなく、末梢神経は全身にいきわたっているため、全身を診ることができるのも脳神経外科の特徴。子供から高齢者までを診ることができ、まだまだ解明されていないことも多いため、探求できるのも志した理由の一つです。
久世先生
学生の頃から、脳神経に漠然とした興味を持っていました。初期研修先は3次救急の病院で、脳出血や頭部外傷、脳梗塞を診る機会がとても多く、救命目的の手術から脳腫瘍やてんかんのように機能に関わる手術まで、幅広い関わり方ができると考え脳外科を選びました。手術がうまくいってもリハビリがうまくいかないと、命が助かっても、人生の質が大きく変わってしまうため、できるだけ機能的によくなれるようにと、考えています。
丸山先生
外科系の科に進みたかったですね。中でも脳は、まだまだ脳は解明されていない分野であり、脳に興味があった。人の人生の一大事に関わる仕事なので、やりがいを感じて選びました。
丸山先生
手術を経験すればするほど怖さはある。脳は手術で見ると臓器の一つなのですが、その人の人格が宿っている臓器なので、怖さはありますね。注意しながら手術を行います。
丸山先生
いろいろなシミュレーションができるようになってきています。画像上のシミュレーションや、血管を3Dプリンターで作ってカテーテルの作戦を立てたり、バーチャルリアリティーを使って作戦を練ったりしています。
橋本先生
脳神経外科医を志したのは、脳神経系に興味があったことに加えて、脳の疾患は新生児から高齢者まで幅広い年齢にかかわるだけでなく、病気の種類も幅広いことですね。脳卒中などの血管疾患、がん、てんかんなどの脳機能、外傷、小児、脊椎など、約5~6の分野があり、脳のほとんどの病気に携わることになります。脳の機能はほとんどわかっておらず、世間ではAIで出てきて右往左往していますが、僕らがしているのは今までのサイエンスでわかっていること、先人たちの経験知でわかっていることを駆使して、脳の病気を治そうとしていて、それが脳神経外科です。
橋本先生
全部ですね。やりがいがあります。いわゆる人間を人間足らしめる脳という臓器に、不幸にも発生した病気を治す努力をし、治癒していく過程を患者さんとともに喜べるのは非常に大きな魅力ですね。近代外科の父、アンブロワーズ・パレが「我包帯す、神、癒し賜う」と言いましたが、僕らは手術でちょっとお手伝いしているだけで、実際、患者さんの治癒力で成り立っている部分が多いのですが、それでも、手術などでお手伝いして治ってもらえるところに魅力を感じますね。
橋本先生
ありますね。重症頭部外傷や脳卒中などで後遺障害の心配があっても、脳神経外科的に治療を行うと治っていくことを経験します。
丸山先生
臨床的には人生の一大事に関わる仕事ができるということです。脳神経外科が臨床的に扱う領域には血管障害、外傷、腫瘍、脊髄、小児、機能など多岐にわたりますが、いずれも生命や人生の質に関わる重要な病態です。それに関わる仕事には、大きなやりがいを感じます。
学術的には神経科学としてのおもしろさに溢れています。まだまだわかっていないことが多く、宇宙に似たロマンを感じます。私たちの脳が、脳について考えているというおもしろさがあります。脳の機能などは教科書や論文に書いてある基本的なことのほかに、患者さんによって違うこともあります。まだまだ、わからないことがたくさんあります。
丸山先生
脳の血管障害を専門にしているのですが、脳の血流が動脈硬化などで少なくなっていく方がいらっしゃって、血管を広げる手術をすると脳の血管と細胞にいろいろな反応が起こります。良くなっていく方と、血が流れすぎて悪くなる方もいます。いかに術前に予測するかが大切になります。科学としての面白さもありますね。
丸山先生
この道を究めようと一生頑張っても、結局、わからなかったということになるのも、魅力の一つかもしれないですね。
鎌田先生
脳神経外科の父はほとんど家にいなくて、当時は忙しかったのだろうと思います。僕自身は経験を積んで、同じような話ができるようになれたらいいなと思います。
西井先生
未知の部分が多いというのも魅力ですが、脳神経外科は患者さんと長いつきあいができるのが魅力だと思います。急性期から術後もずっと診ることができるのも脳神経外科ならではだと思います。失われて戻らないといわれている神経をいろいろな治療法で失った部分を補助したりするアプローチで寝たきりの人を減らしたり、障害を持った人がもっと活躍できるようにすることができるのも魅力ですね。
橋本先生
通常手術は全身麻酔で手術しますよね。今、僕が会話ができているのは、左の前頭葉に言語中枢がありそこの活動で話していますが、この言語中枢に腫瘍や梗塞がある場合、話しにくくなったりします。手術で腫瘍を取る場合、ちょっとでも数ミリ横にいくと言語中枢を傷つけると話せなくなってしまうので、患者さんに起きてもらって、言語機能をみながら手術をします。これを覚醒下手術といいます。
たぶん、TVでしていたのは、音楽家の方の手術で、演奏が、できるかどうかの覚醒下手術だったと思います。覚醒下手術は20年前くらいから大学病院などで行われています。最初は言語や手足の機能を見ながらの手術が中心でしたが、今は手術中にいろいろな機能を見るようになっていますね。楽器演奏をしてもらいながらの手術経験はありませんが、難しいでしょうね。なぜできるかというと、皮膚も痛いし、頭蓋骨も痛いのですが、脳は触っても痛くないんです。
橋本先生
それは脳が痛みを感じているのではなく、脳のまわりの髄膜や知覚神経、感覚神経があるところが痛みを感じているのです。皮膚、頭蓋骨、髄膜までは痛いのですが、脳は痛くないのです。
丸山先生
血管の分野ですとカテーテル手術が増えてきていますね。
西井先生
放射線や薬を使った治療法など、切らない治療も増えてくると思います。患者さんは手術したくないと思います。将来的に技術や道具の進歩で手術の傷も小さくなったりしていくと思います。
丸山先生
私個人では脳血管障害の研究に関与しています。脳の循環代謝、つまり酸素と栄養が脳に取り込まれて排出されていく過程について、色々な画像診断を駆使して病気との関係を調べています。特に脳虚血の急性期についてはわかっていないことが多く、強い関心を持っています。脳と血管の状態をMRIなどの画像を使って推定し、最適な治療法を探索しています。
西井先生
脳の損傷があるマウスに幹細胞を移植し、光を当てると脳細胞が活性化するような研究をしています。実際は予算が足りなくて…笑。トライアンドエラーを繰り返しながら実験をして、成果を見出しています。
橋本先生
医学部を卒業すると、2年の研修後、19の専門医の中でどこかで3年間専門研修をします。鎌田先生と久世先生は現在、脳神経外科医専門医プログラムの専攻医です。7年目に脳神経外科専門の試験を受けます。それまでは臨床が中心となります。
私どもは最終的によい臨床医であり、よい研究医であり、よい教育医であることを目標にしています。臨床がおろそかになると今の患者さんに影響し、教育がおろそかになると後輩が育たず数十年先に滅びるでしょう。研究は100年後に役立つためでしょうか。オランダから西洋医学が伝わり約200年。みんな臨床、研究、教育を考えて後世に繋いでいると思います。そういう意味では、歴史が少しずつ積み重なり、医学の進歩に繋がっているのを日々実感しています。
橋本先生
大学は昨年、創立150周年を迎えました。明治天皇が東京へ行かれた時、京都府民が寺社と花街から資金を集めて、誕生したのが京都療病院、現在の京都府立医科大学の原形です。「世界トップレベルの医療を地域へ」の理念を掲げて、発展してきました。脳神経外科は約50年の歴史があり、大学の理念に基づいて脳神経外科医療を行なっています。僕はかたい雰囲気は好きではないので、わりと自由にやってほしいと思っています。リベラルな環境のなかで、世界トップレベルの医療を目指してもらっています。
丸山先生
気軽にほかの先生方と話ができるのがいいですね。後輩同士、支え合えるのもいいと思います。コミュニケーションがとりやすいと思います。
西井先生
さまざまな病院勤務を経て、同じ治療をするにあたっても、さまざまな治療方針があることを知りました。地域によって患者さんも特徴があります。
京都の北部の方は過疎のようなところもあり、市内は病院も多く、医師も多い。対応の違いもありますね。
丸山先生
僕自身は出身が京都ですので、京都で勉強ができたのも良かったですね。医局としてはお互いに切磋琢磨していますが、人と人との情にあふれていると思います。上下の関係は大事ですが、比較的意見が言いやすく、気軽に話せる雰囲気なのもいいですね。
鎌田先生
僕は今まで2年研修医を終え、いろいろなところで学ぶことができ、症例もいろいろ診ることができています。大学でいろいろな先生の手術や術式、考え方を知ることができるのも学びになっています。
橋本先生
外科医は手術室にいる時は、身体的には疲れますが、目的をもって手術をしているためストレスはあまりたまらないです。他の仕事でストレスがたまった時は、寝る、飲みに行く、そしてギターやピアノなどの演奏をしてストレスを解消しています。あとは野球観戦かな。コロナ前は、海外への学会なども海外旅行気分も楽しめてよかったです。救急のPHSが鳴っている時はストレスですね。ポケベルの方がよかった。(笑)
丸山先生
僕はにわか家庭菜園や子供と一緒に遊ぶことですね。
西井先生
飲んでいることかな。バスケットをしていた時もあります。今はベランダでご飯を食べたりするべランディングかな。
鎌田先生
野球観戦がストレス発散になります。特に、広島カープのファンなので、勝った時はとても気分がいいですね。
久世先生
川沿いを歩く、ウォーキングをするのがストレス解消になりますね。
橋本教授をはじめ、丸山先生、西井先生、鎌田先生、久世先生。お忙しい中、長時間の座談会にお付き合いいただきました。
脳という人にとって人生を左右するとてもデリケートな臓器を扱う脳神経外科。お会いするまでは、ピリピリとした雰囲気なのかと思っていましたが、みなさんとても和やかで、医局の雰囲気が伝わるような居心地のよい座談会となりました。
橋本教授も話しやすいお人柄で、医学への熱い情熱とユーモラスを交えて素敵なお話を聞かせていただきました。また、各先生方から未知なる領域である脳の研究と治療、そしてそれを伝えていく教育を担っている脳神経外科について熱く語っていただきました。